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2013年2月 9日 (土)

種まき

ヨーガをしていくと必ず出てくる、「カルマ」という言葉。
日本語では「因果応報」「業」などと言われます。
行為や行いという意味もあります。

物事には、原因があり、今はその結果を体験しているんだ、ということ。
だから、幸せになりたいのであればいいカルマを積みなさい。
(いい行いをしなさい)ということになります。

ゴエンカ氏のヴィパッサナー瞑想入門という本の中に、こんな物語がありました。
カルマについて分かりやく書かれていたので、載せてみますね。

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《種と実》

原因があって結果が生じる。種があって実がなり、行為があって結果が生まれる。

 農夫が土に二粒の種を蒔きました。ひとつはサトウキビの種、もうひとつはニームの種。
 ニームというのはおそろしく苦い熱帯の植物です。二粒の種は、同じ土、同じ水、同じ太陽の光を受けて育ちます。自然は二つの種に公平に栄養を与えます。やがて二つの植物は小さな芽を出し、ぐんぐん成長を始めます。
 ニームの木はどうなったでしょう?繊維の一本一本に至るまで苦くなります。
 一方、サトウキビのほうは繊維の一本一本にいたるまで甘くなります。自然は、あるいはそれが神のしわざだとすれば神は、なぜ一方には親切で、一方には意地悪なのでしょう?
 いえいえ、自然は親切でもなければいじわるなのでもありません。
 ただ定められた法則が働くのです。自然は種の持つ性質が現れるのを助けるだけです。
 自然の栄養は、種の中に隠れた性質が現れるのを助けるだけです。
 サトウキビの中には甘さという性質があります。だから、甘くなるのです。
 ニームの種には苦さという性質があります。だから、苦くなるのです。
 農夫がニームの種のところに行き、三度礼拝をしてから、そのまわりを百八度回って、花や線香、ローソク、果物、お菓子などをお供えします。そして、「願わくばニームの神様、どうか甘いマンゴーを与えたまえ。マンゴーの実をならせたまえ」とお祈りをはじめたらどうでしょう。
 気の毒なのはニームの神様です。そんなことを言われても困ってしまいます。
 土台無理というものです。甘いマンゴーの実が欲しければ、マンゴーの種を植えなければいけません。そうすれば泣くこともないし、お祈りする必要もありません。その実は全部甘いマンゴーになります。それが道理というものです。
 私たちの困ったところ、愚かしいところは、種をまくときにうっかりしている、不注意きわまりない、ということです。ニームの種をまき散らしておきながら、実がなる時には甘いマンゴーが欲しい、と騒ぎます。マンゴー、マンゴー、と駄々をこね、お祈りし、お願いします。

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私たちは、起きている出来事に対してついつい「いい、悪い」と判断をしてしまいますが、
それは単に自分が蒔いた種であること。
「いい、悪い」のではなく、純粋にあるがまま、それを受け止めることが大切だと思いました。
善悪を決めるのは人間の心。
「いい、悪い」と評価を下さず、ニームはニームのまま、サトウキビはサトウキビのまま
受け止めれば、苦しみもなくなります。
(ニームがいい、サトウキビがいいと言っているのは私たちの心ですよね)
自然からすれば、「いいも悪い」もなくて、真実は「ただそれがある」のみ。

そういう風に生きていきたいな、と思う反面、
それを願っていては今の自分を否定することにもなります。
あるがまま、純粋に全てを受け止めていこうと思います^^
















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