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2012年1月10日 (火)

赤ちゃんの時の記憶

今日のブログは、個人的な事になりそうなので、心の事に興味のある方は読んでくださいね^^



昨晩は、キレイな満月でしたね。

体を休めるために、昨日一日食事の量を減らしました。
朝 おかゆ
昼 豆乳
夜 温レタス

その分、ヨガ&瞑想の時間はたっぷりとって
贅沢な一日だったなぁ、と思います。


この頃は、実家から弟が遊びに来ていた事もあって、自分のヨガの時間をあまり取れずにいました。
でも、何もしないながらも、何か自然な変化が起きているような気がします。

変わる時って、何もしなくても変わるのかもしれませんね。
行きたい場所が決まってたら 足が自然と歩いてくれるように、
「こうなりたい」という意識が心の中に決まっていて、目の前にあるやるべき事をこなし、道に抵抗しなければ自然とそうなるのかな、って思ったりもします。

「変わりたい」と思っていながら、無理していくら頑張っても、変われない時があるのも自然な事なのかもしれません。
(もしかしたら・笑)


先週は自分の心の中に、塊をよく感じていました。
その塊(息苦しさのような感覚)は、たまに私をしんどくします。

「いつの間にか、気分が落ち込んでる」
そんなことは、誰だってあると思います。

私の場合は、そういう時、塊があるように胸が苦しくなります。
特に先週は、人と会った後にそういう感覚がありました。



瞑想しながら、探ってみました。

始めに思い出したのは、小さな子どもの時の記憶でした。
「あの時は、みんなを無条件に愛そうとしていたなぁ。」と。
でも、小さい時から胸の塊や、空虚感があったなぁ…
それに、愛そうとしているけど、私が無条件に誰かに愛された事ってあるのかなぁ…

すると、初めて赤ちゃんだった時の事を思い出しました。

(全ての記憶を脳は覚えてるって聞いたことがありますが、本当だったんですね。)


抱っこしてくれていたのは、おじいちゃんや おばあちゃんでした。
すごく可愛がってくれている様子。
でも、私は「おかあさんがいいよー!」
って泣いています(笑)

泣いている私の心の中には空虚感があって、でもそれは産まれる前から持ってきたもので、体験して克服するために そこを選んだのかな、と感じました。

もうひとつ。
泣いている時、可愛がってくれている祖父母には目もくれず、お母さんを求めていました。
祖父母は無条件の愛をくれていたのに、それを心のどこかで拒否していました。
(おじいちゃん、おばあちゃん、ごめんね…)

だから、私は誰かを無条件に愛そうとしても、心の隅っこに「受け取ってくれないかも」
という意識が残っていたんだと思います。


そういえば、子どもの頃からヨガに出逢う前までは、
「いつか、嫌われるかも」
ってつい、癖のように思ってしまう事がありました。

心の中の塊が、完全に無くなったかはわかりませんが、
これからは前よりも愛することに素直になれそうです^^



赤ちゃんの頃の出来事が、大人になった今でも心に影響するって、信じられないかも知れませんが、私は本当だと思います。

でも、赤ちゃんの頃の私が求めていたことは、簡単なことで、お母さんに抱っこしてほしい、私を見てほしい、笑って欲しい、それだけでした。


今日のブログは、
読んでくれた誰かの 何かの気づきにつながると良いな、と思って書きました。

もし、今 心に塊があったとしても、心の底から望んでいれば 溶ける日が来ると思います。
舗装されていない、山道かもしれないけれど、
目的地が決まっていれば、足が歩いて連れて行ってくれるように。



今回私が体験したように、悩みも、苦しみも、心が作り出している実態のないものです。

沢山の方が、それに気づいてくれるよう願っています。
本当は、みんなが純粋で、愛の子です。

私も完全にそれに気づく事が出来るよう、日々進んでいきたいと心の底から望みます^^



生きとし生けるもの全てが幸せでありますように。
OM shanti shanti shanti







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